岩木川
岩木川 岩木川/いわきがわ iwakigawa | |
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流域 | |
源頭 | 青森县中津轻郡西目屋村雁森岳 |
• 海拔 | 987米(3,238英尺) |
河口 | 日本海 |
流域面積 | 2,540 km2(980 sq mi) |
城市 | 日本青森县 |
本貌 | |
長度 | 102 km(63 mi) |
流量 | |
• 平均流量 | 88.2(五所川原観測所[convert: 不明單位] |
岩木川(日语:岩木川/いわきがわ Iwaki gawa */?)是流经日本东北地方青森县西北隅的一条一级河川。古代也被称为弘前川或大川。长度为102公里,是青森县内仅次于马渊川的第二大河流。
岩木川一名来自于附近的岩木山。其读音「イワキ」与神道用语「イワクラ」均为日本山嶽信仰的一部分。[1]
地理概况
岩木川发源于青森县中津轻郡西目屋村白神山地海拔987公尺的雁森岳,由岩木山南麓向东北方向流动。流经弘前市轉北方向流入津轻平野,在津轻半岛西北注入十三湖,最终在十三湖河口的五所川原市十三注入日本海。[2]其中,岩木川下游十三湖区域也位于津輕國定公園的保护区内[3]。
支流
岩木川在上岩木橋至源头流域为上游河段,岩木川在此接纳了栩内川、相馬川、藏助泽川、大秋川、湯之泽川、大泽川、大川等支流。在十三湖到上岩木橋的中游河段,岩木川接纳了旧十川、十川、新和川、旧大蜂川、大蜂川、平川、後長根川、新土淵川等支流。狭門川、相内川、山田川、今泉川等支流在十三湖与岩木川干流交汇。[4][5][6][7]
水力资源开发
岩木川水力资源丰富,干流上游建造有目屋水坝、津轻水坝等大坝,可以为津轻平野的农田提供灌溉,并为居民提供生活用水。[8]
自然灾害
岩木川流域在历史上曾经发生洪涝灾害,明治初年,青森县馆冈村村长長谷川清次郎曾经自己出资疏通河道,解决了当地的洪患,后世因此在五所川原市十三立长谷川水户口显彰碑纪念他的贡献。[9]
人文历史
镰仓时代后期,位于岩木川河口的十三湊,在安東氏的治理下,逐渐成为大和人与阿伊努人展开商品交易的重镇。[10][11][12]而进入室町时代,十三湊也被幕府列入三津七湊,成为了当时日本重要的十大海港。[13]其后,经过國立歷史民俗博物館、富山大学、中央大学等机构的考察发掘,证实了室町时代的十三湊亦曾与朝鲜、中国等国家有所没有往来。[14]但是进入15世纪中叶,安東氏为根城一带的新兴武士南部氏击败,逃往北海道,失去了对十三湊的控制,其后十三湊逐渐衰落,其与阿伊努人的交易港地位逐渐被野边地湊等地取代。[15][16]
岩木川上游的中津轻郡西目屋村的尾太礦山,在江户时代因为银矿、铜矿的开采而成为津轻藩領内仅次于弘前、青森的第三大聚居地。在日本高度经济成长期间,尾太矿山也因为黄铁矿、黄铜矿、闪锌矿及方铅矿的开采而发展,直到1978年因第一次石油危機的影响而停产。[17][18][19]
参考文献
- ^ 青森河川国道事務所 「かわ」のひろば 岩木川 これからの岩木川を考えてみませんか? 岩木川Q&A. www.thr.mlit.go.jp. [2019-09-05]. (原始内容存档于2022-03-05) (日语).
- ^ 中世・十三湊 〈五所川原市〉. 奥津軽の旅案内(奥津軽観光ポータルサイト). 五所川原市観光協会、ほか. [2018-06-10]. (原始内容存档于2013-12-31) (日语).
- ^ 津軽国定公園 - 青森県庁ホームページ. 青森県. [2014-07-09]. (原始内容存档于2020-08-10).
- ^ 国土交通省 東北地方整備局青森河川国道事務所 岩木川水系河川整備計画(大臣管理区間)PDF 2016年1月3日閲覧。
- ^ 『津軽平野と岩木川のあゆみ 岩木川治水史』p43-64
- ^ 国土交通省 東北地方整備局青森河川国道事務所 岩木川水系河川コード表PDF 2016年1月3日閲覧。
- ^ 国土交通省 大和沢ダムの概要PDF 2016年1月13日閲覧。
- ^ 津軽ダム オープン記念イベントの様子. 国土交通省 東北地方整備局 岩木川ダム統合管理事務所ホームページ. [2017-05-29] (日语).[失效連結]
- ^ 国土交通省. [2022-03-05]. (原始内容存档于2022-03-05).
- ^ 千葉, 園子. 安東氏テーマにシンポ 成り立ち、足跡を解説 土崎港 弘前大教授ら講演. 秋田魁新報. 2014-11-18: 23 (日语).
- ^ 港と船 (PDF). 山口县文書館. [2022-01-27]. (原始内容 (PDF)存档于2022-01-27) (日语).
- ^ 木村裕俊 「道南十二館の謎」95-98,135-138頁 ISBN2:978-4-8328-1701-2
- ^ 三津、七湊 (页面存档备份,存于互联网档案馆) 5/19 頁 2.中近世(1)中世の本吉湊、比楽湊・本吉湊(美川漁港)の「みなと文化」(港湾空間高度化環境研究中心)2010-07-16 查閱
- ^ 村井章介. 北の環日本海世界 書きかえられる津軽安藤氏 B6. 山川出版社. 2002-05-01. ISBN 9784634605305 (日语).
- ^ 石山晃子. 野辺地湊(野辺地港・野辺地漁港)の「みなと文化」 (PDF). 港別みなと文化アーカイブス(公式ウェブサイト). 一般財団法人 みなと総合研究財団. [2018-06-10]. (原始内容 (PDF)存档于2021-01-23).
- ^ 油川城と大浜. あおもり 今・昔(公式ウェブサイト). 青森市. 1999-03-15 [2018-06-10]. (原始内容存档于2022-01-28).
- ^ 山本玄珠, 長峰崇, 北垣俊明, 海野友紀,「青森県尾太鉱山跡地の廃水中から発見されたマンガン団塊」 地球科学 2004年 58巻 6号 p.375-388, NAID 110004860786, doi:10.15080/agcjchikyukagaku.58.6_375, 地学団体研究会, 2019年2月6日閲覧。
- ^ 弘前大学,2005,長谷川成一,「延宝期尾太鉱山絵図の研究:「御金山御絵図」の解析と考察」, ,2015年12月13日閲覧。
- ^ 横山佐蔵(尾富鉱業),「尾太鉱業所地下選鉱場について」『浮選』1961(15),環境資源工学会,1961,p.18-21, doi:10.4144/rpsj1954.1961.15_18, 環境資源工学会, 2015年12月14日閲覧。