源師忠
源師忠 | |||||||||||||||||||||||||||
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平安時代後期公卿、歌人 | |||||||||||||||||||||||||||
正二位大納言 | |||||||||||||||||||||||||||
國家 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||
時代 | 平安時代 | ||||||||||||||||||||||||||
主君 | 後三條天皇→白河天皇→堀河天皇→鳥羽天皇 | ||||||||||||||||||||||||||
位階 | 正二位 | ||||||||||||||||||||||||||
氏族 | 村上源氏 | ||||||||||||||||||||||||||
其他名號 | 「壬生大納言」、「澤大納言」 | ||||||||||||||||||||||||||
出生 | 天喜二年(1054年) | ||||||||||||||||||||||||||
逝世 | 永久二年九月二十五日 (1114年10月25日)(60歲) | ||||||||||||||||||||||||||
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源師忠(1054年-1114年),為日本平安時代後期的公卿、歌人。出身村上源氏,是從一位右大臣源師房的第四子。官至正二位大納言。被當時稱之為「壬生大納言」或「澤大納言」。
其家族乃是臣籍降下後被賜予源朝臣姓而來,其曾祖父即日本第62代天皇村上天皇,祖父則是村上天皇第七皇子具平親王。
源師忠亦為當時的歌人,在《新古今和歌集》中的《勅撰和歌集》有收錄其作品3首,其中他尤其擅長和琴演奏。
家庭
- 父:源師房
- 母:藤原頼宗之女
- 正妻:橘俊綱之女
- 妻:源俊長之女
- 男子:源師隆(1075-1134)
- 妻:藤原良綱之女
- 男子:源師長
- 妻:源政長之女[3]
- 男子:寛遍(1100-1166)
- 生母不明
- 女子:染殿
- 女子:源師時正室
- 養子女