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反正天皇

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反正天皇
第18代天皇
在位期间:
反正天皇元年1月2日 - 反正天皇5年1月23日
前任:履中天皇
继任:允恭天皇
瑞歯别
别名 多遅比瑞歯别尊
水歯别命
出生 仁德天皇三十九年?
逝世 反正天皇五年一月廿三日
陵墓 百舌鸟耳原北陵
父亲 仁德天皇
母亲 磐之媛命
夫人 津野媛
弟媛
皇子 高部皇子
皇女 香火姫皇女
円皇女
财皇女
日语写法
日语原文反正天皇
假名はんぜいてんのう
平文式罗马字Hanzei Tennō

反正天皇(日语:反正天皇はんぜいてんのう Hanzei Tennō)是日本第18代天皇(反正天皇元年1月2日 - 反正天皇5年1月23日在位),名瑞齿别尊(日语:瑞歯別尊みつはわけのみこと Mitsuhawake no mikoto)、多迟比瑞歯别尊(たじひのみずはわけのみこと),是古坟时代的天皇。古事记记载他活了60岁[1]

系谱

仁德天皇的第三皇子。母亲是磐之媛命(いわのひめのみこと)。 履中天皇的同母弟,允恭天皇的同母兄。以下是其后妃和子嗣列表:

  • 皇夫人:津野媛(つのひめ
    • 香火姫皇女(かひひめのひめみこ
    • 円皇女(つぶらのひめみこ
  • 妃:弟媛(おとひめ
    • 财皇女(たからのひめみこ
    • 高部皇子(たかべのみこ

略历

1月2日于履中天皇驾崩后即位,5年后,于1月23日驾崩。《古事记》记载其时年60。

谥号・追号・异名

别名瑞齿别天皇(みつはわけのすめらみこと)。

《古事记》以水齿为别名(みずはわけのみこと)。

中国《宋书》及《梁书》记载中的倭五王,倭王赞为仁德天皇履中天皇,反正天皇为倭王珍的可能性甚高。

都在河内丹比柴篱宫(たじひのしばかきのみや、大阪府松原市上田7丁目的柴篱神社)。

陵墓・灵庙

葬于百舌鸟耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)
大阪府堺市北三国中丘町2丁目的田出井山古坟(前方后坟,全长148m)。

参考资料

  1. ^ 《古事记·下卷》:天皇之御年。陆拾岁。御陵在毛受野也。

关连项目

前任:
履中天皇
日本天皇 继任:
允恭天皇