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討論:臺灣總督府臺北高等學校

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原敬首相的內政:高等教育擴張政策

內政については、かねてから政友會の掲げていた積極政策、すなわち、教育制度の改善、交通機関の整備、産業及び通商貿易の振興、國防の充実の4大政綱を推進した。とりわけ交通機関の整備、中でも地方の鉄道建設のためには公債を発行するなど極めて熱心であった。

また、教育政策では高等教育の拡張に力を入れた。大正7年(1918年)、原內閣の下で「高等諸學校創設及拡張計畫」が、4,450萬円の莫大な追加予算を伴って帝國議會に提出され可決された。その計畫では官立舊制高等學校10校、官立高等工業學校6校、官立高等農業學校4校、官立高等商業學校7校、外國語學校1校、薬學専門學校1校の新設、帝國大學4學部の設置、醫科大學5校の昇格、商科大學1校の昇格であり、その後この計畫はほぼ実現された。これらの官立高等教育機関の大半は、地方都市に分散設置された。

また私立大學では大正9年(1920年)に大學令の厳しい要件にも関わらず、慶應義塾大學、早稲田大學、明治大學・法政大學・中央大學・日本大學・國學院大學・同志社大學の舊制大學への昇格が認可され、その後も多くの私立大學が昇格した。

この高等教育拡張政策は第一次世界大戦の好景気を背景とした高等教育への、求人需要、志願需要の激増に応えたものである。そして高等教育拡散は皇室への危険思想につながるとしてこれに反対した山縣有朋を説得したものであった。