練馬 (練馬區)
練馬 | |
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坐標:35°44′20″N 139°39′06″E / 35.7389363°N 139.6517336°E | |
國家 | 日本 |
都道府縣 | 東京都 |
特別區 | 練馬區 |
人口(2012年(平成24年)11月1日) | |
• 總計 | 14,480人 |
時區 | JST(UTC+9) |
郵遞區號 | 176-0001 |
練馬(日語:練馬/ねりま Nerima */?)是東京都練馬區的町名,現行行政地名為練馬一丁目至四丁目,已住居表示實施。郵遞區號176-0001。人口為14,480人(2012年11月1日)。
地理
位於練馬區中央偏東的位置。北鄰早宮,南接中村北、豐玉北、豐玉上,東臨櫻台,西連向山。
河川
歷史
地名的由來
舊時屬武藏國豐島郡下練馬村。地名是源自車站站名,不是因為此地是下練馬村(本村在平和台)與練馬區中心。
沿革
- 8世紀中 - 武藏國乗瀦站所在地(10世紀初消失)。乗瀦站所在地有練馬區練馬説與杉並區天沼説。根據練馬區練馬説,乗瀦站所在地大約是在白山神社附近。
- 1083年(永保3年) - 傳聞練馬白山神社的大櫸樹是源義家所奉納。
- 1281年(弘安4年) - 此年板碑在白山神社附近出土。當時白山神社周邊已形成聚落。
- 1868年8月7日(慶應4年6月19日) - 武藏國豐島郡豐島郡下練馬村由武藏知縣事松村忠四郎長管轄。
- 1869年2月15日(明治2年1月13日) - 設立小菅縣豐島郡下練馬村(新設小菅縣)。
- 1869年3月21日(明治2年2月9日) - 設立品川縣豐島郡下練馬村(新設品川縣)。
- 1871年12月25日(明治4年11月14日) - 設立東京府第3大區22小區新宿口下練馬村(編入東京府並實施大區小區制)。
- 1873年(明治6年)3月18日 - 再編成東京府第8大區7小區下練馬村。
- 1878年(明治11年)11月2日 - 設立東京府北豐島郡下練馬村(實施[郡區町村編製法)。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 實施市制町村制。
- 1915年(大正4年)4月15日 - 武藏野鐵道(現在的西武池袋線)練馬站開業。
- 1919年(大正8年)10月10日 - 練馬站北口的大日本紡績練馬工場開始營運。
- 1927年(昭和2年)10月15日 - 武藏野鐵道豐島線豐島站(現在的西武豐島線豐島園站)開業。
- 1929年(昭和4年)4月1日 - 設立東京府北豐島郡練馬町(町制施行)。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 設立東京府東京市板橋區練馬南町(編入東京市並新設板橋區)。
- 1938年(昭和13年)4月 - 中央大學練馬競技場(現在的練馬總合運動場)開幕。
- 1940年(昭和15年)4月 - 私立豐島岡青年學校在東洋紡織工業練馬工場內開校。
- 1942年(昭和17年) - 豐島園站附近的私立練真中學校開校。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 設立東京都板橋區練馬南町(實施東京都制施行)。
- 1947年(昭和22年)8月1日 - 設立東京都練馬區南町三丁目至五丁目(設立練馬區[1])。
- 1949年(昭和24年)5月2日 - 練馬區立開進第二中學校從開進第二小學校內移往現在地(現在的練馬二丁目)。
- 1949年(昭和24年)8月1日 - 練馬授產場開設。
- 1952年(昭和27年)9月1日 - 練馬區立南町小學校與開進第二小學校學區分割、開校。
- 1955年(昭和30年) - 私立練真高等學校廢校。
- 1955年(昭和30年)4月23日 - 練馬和光保育園開園。
- 1959年(昭和34年)3月11日 - 設立練馬南町四郵便局(特定郵便局),處理電話通話與日文電報事務[2]。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 練馬授產場改建。
- 1963年(昭和38年)2月1日 - 實施住居表示,設立東京都練馬區練馬一 - 四丁目[3]。
- 都内第一号の住居表示実施である。
- 1963年(昭和38年)8月5日 - 練馬南町四郵便局改稱練馬二郵便局[4]。
- 1966年(昭和41年)7月1日 - 設立練馬四郵便局(特定郵便局)[5]。
- 1966年(昭和41年)11月11日 - 學校給食第二總合調理場開場。
- 1970年(昭和45年)12月21日左右 - 鐘渕紡績練馬工場廢場。
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 練馬保育園開園(厚生文化會館內)。
- 1973年(昭和48年)5月1日 - 厚生文化會館開館。
- 1974年(昭和49年)10月 - 東京都收購中央大學練馬運動場(現在的練馬總合運動場)。
- 1976年(昭和51年)6月23日 - 區立豐島園站西腳踏停車場開設。
- 1977年(昭和52年)3月 - 鐘淵紡績練馬工場舊址開發,東京都與練馬區收購。
- 1977年(昭和52年)4月1日 - 練馬一丁目公園開園。
- 1978年(昭和53年)6月1日 - 舊中央大學練馬運動場(現在的練馬總合運動場)開放。
- 1978年(昭和53年)8月2日 - 鐘淵紡績練馬工場舊址暫時開放區民進出。
- 1983年(昭和58年)4月3日 - 練馬文化中心在鐘淵紡績練馬工場舊址開館。
- 1985年(昭和60年)6月18日 - 練馬站前再開發、練馬一丁目地區市街地再開發準備組合開始運作。
- 1991年(平成3年)12月10日 - 都營地下鐵12號線(現在的都營大江戶線)豐島園站開業。
- 1993年(平成5年)7月1日 - 厚生文化會館改建開館。
- 1994年(平成6年)4月15日 - 鐘淵紡績練馬工場舊址的平成杜鵑花公園開園。
- 1995年(平成7年)7月18日 - 鐘淵紡績練馬工場舊址的練馬站北口地下停車場開場。
- 1996年(平成8年)10月1日 - 練馬服務中心開設。
- 2002年(平成14年)3月31日 - 練馬授產場廢止。
舊小字
- 練馬一丁目 - 栗山(くりやま)、谷戶(やと)
- 練馬二丁目 - 栗山、栗山下(くりやました)、糀谷(こうじや)
- 練馬三丁目 - 出頭(でがしら)、谷戶
- 練馬四丁目 - 栗山下、谷戶山(やとやま)
町名變遷
實施後 | 實施年月日 | 實施前(各町部分地區) |
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練馬一丁目 | 1963年2月1日 | 南町四丁目、南町五丁目 |
練馬二丁目 | 南町三丁目、南町四丁目 | |
練馬三丁目 | 南町五丁目 | |
練馬四丁目 | 南町四丁目、南町五丁目 |
交通
鐵路
巴士
- 練馬站北口停留所
- 練馬一丁目停留所(國際興業巴士)
- 赤01系統 - 練馬站方向、赤羽站西口方向
- 練95系統 - 練馬站方向、練馬北町車庫方向
- 豐島園停留所
- 赤01系統 - 練馬站方向、赤羽站西口方向(國際興業巴士)
- 練95系統 - 練馬站方向、練馬北町車庫方向(國際興業巴士)
- 練47系統 - 練馬站北口方向、成增站南口方向(西武巴士)
道路
- 東京都道8號千代田練馬田無線(目白通)
- 東京都道439號椎名町上石神井線(千川通)
- 東京都道442號北町豐玉線(辯天通、大門通)
文化財、遺構、史蹟
- 栗山 - 練馬區立開進第二中學校附近。舊石器時代 - 平安時代之間的聚落。東京都教育委員會遺構番號練馬區108。
- 右馬頭屋敷跡 - 練馬區立開進第二中學校付近。中世紀的城館。東京都教育委員會遺構番號練馬區138。
設施
練馬一丁目
- 練馬站(西武鐵道)
- 練馬警察署練馬站前派出所
- 三菱東京UFJ銀行練馬支店
- 巢鴨信用金庫練馬支店
- 了見寺
- 練馬和光保育園
- 阿彌陀寺
- 吉野家練馬店
- 鮮堡練馬店
- 練馬文化中心
- 練馬區立平成杜鵑花公園
- 旭化成HEBEL PLAZA(旭化成ヘーベルプラザ)
練馬二丁目
- 練馬區立南町小學校
- 練馬區立開進第二中學校
- 學校給食第二總合調理場
- 練馬二郵便局
- 練馬區立練馬保育園
- 練馬日間托嬰中心
- 練馬總合運動場
練馬三丁目
- 警視廳練馬住宅
- 練馬區立練馬はらっぱ公園
- 7-11練馬3丁目店
- LAWSON STORE 100(ローソンストア100)
- 太陽公公保育園分園(おひさまほいくえん分園)
練馬四丁目
- 豐島園站(西武豐島線、都營地下鐵大江戶線)
- 練馬區立厚生文化會館
- 練馬四郵便局
- 八千代銀行
- 練馬警察署豐島園前交番
- 星巴克豐島園站前店
- 日本麥當勞豐島園店
- 7-11豐島園站前店
- FamilyMart豐島園站前店
- Ministop豐島園站前店
- カオル藥局
- 田島山十一寺
- 白山神社
- UNITED CINEMAS(ユナイテッド・シネマ)豐島園
- 松屋豐島園店