洼田藩
洼田藩 | |
---|---|
外样 阵屋 | |
别称 | 菊多藩 |
日语汉字 | 洼田藩 菊多藩 |
平假名 | くぼたはん きくたはん |
罗马拼音 | Kubota-han Kikuta-han |
创藩日期 | 元和8年(1622年) |
创藩理由 | 加增或分知 |
所在地 | 日本陆奥国洼田 |
藩厅 | 洼田阵屋 |
大名家 | 土方家 |
石高 | 二万石→一万八千石 |
藩邸 | 上屋敷:西日比谷町 |
废藩日期 | 贞享元年7月22日(1684年9月1日) |
废藩理由 | 改易 |
洼田藩(日语:窪田藩/くぼたはん Kubota-han */?),又称菊多藩(日语:菊多藩/きくたはん Kikuta-han */?),是位于日本陆奥国洼田(现福岛县磐城市勿来町洼田[1])的藩,成立于元和8年(1622年),藩厅是洼田阵屋[2],历任藩主均是外样大名和阵屋持[3],大名家是土方家,高峰期石高达二万石,贞享元年7月22日(1684年9月1日)改易时为一万八千石[2],江户藩邸上屋敷位于西日比谷町(现东京都千代田区霞关一丁目和日比谷公园[4])
历史
洼田在战国时代时是佐竹氏和岩城氏势均力敌的地区[1],进入江户时代后最初是磐城平藩的领地[5],在内藤政长于元和8年9月28日(1622年11月1日)入主磐城平藩后,其女婿土方雄重从下总田子五千石加增至洼田一万石[2],加上原本领有的能登国羽咋郡、凤至郡、珠洲郡和能登郡的约一万石,以二万石创立洼田藩,《国史大辞典》指出磐城平藩原本有十万石,雄重的洼田一万石是由政长分封而来(分知)[3],《角川日本地名大辞典》和《日本历史地名大系》则视为加增[1][5]。宽永6年2月15日(1629年3月9日),土方雄次继任为第二任藩主,宽永12年8月25日(1635年10月6日)首次到洼田趁任,同年位于姻亲泉藩主内藤政晴领内的锦御宝殿(现磐城市锦町御宝殿)的熊野神宫的若宫和长床,他也有份协助修理。延宝5年(1677年),他又修建土方家位于磐城市勿来町大高的菩提寺大高寺。延宝7年11月27日(1679年12月29日),雄次的次子土方雄隆代替体弱多病的嫡子雄信继任为第三任藩主,并且将二千石赐予其弟雄贺[2]。
天和3年5月13日(1683年6月7日),雄隆在首次前往洼田时,为了以防不测[2],决定收其异母兄弟,笔头家老林家的养子贞辰为养子[1],在向江户幕府提出申请后获得接纳[5],不过在洼田由于川合和阿倍一派支持雄信之子内匠成为继承人,雄隆也因此变卦,打算改以内匠为其养子,这也造成家中分为两派[1]。其后,贞辰向大目付高木守藏和秋山正房提出申诉,并且藏身于宽永寺内自行谨慎,而林家的林亮之进则在洼田射杀了雄隆的侧室。贞享元年7月22日(1684年9月1日),这场御家骚动最终以洼田藩改易告终,肇事者先后交由各大名看管,贞辰是松平康尚,林亮之进是三春藩主秋田辉季,内匠是米津政武,家臣川合和阿倍是沟口重雄,雄信是松平忠俱[2],其中《角川日本地名大辞典》记载贞辰是由藤堂高通看管,内匠则是流放至八丈岛[5]。与此同时,雄隆由越后村上藩主榊原政邦负责看管,并且被处以永谨慎,他最终在当地死去,并且下葬于当地曹洞宗寺院常福寺,土方家则以雄隆分封予雄贺的二千石,包括大高村、酒井村(现磐城市勿来町大高和酒井[6])、太田村、四町村(现石川县羽咋市太田町和四町[7])、小栗村、槙山村(现石川县七尾市小栗町)、柑子山村、清水平村和外林村(现七尾市柑子町、清水平町和外林町[7]),作为旗本的土方家一直存续至明治[2]。另一方面,洼田藩改易后成为幕府领,洼田阵屋的遗址也改设为代官所,在延享4年(1747年)并入至邻近的幕府领小名滨[2]。宽保2年(1742年),洼田的部分幕府领改作棚仓藩领后,棚仓藩在代官所遗址改设阵屋直至明治维新为止[1]。
历任藩主
大名家 | 家格 | 藩主名称 | 石高 |
---|---|---|---|
土方家 | 外样大名 阵屋持 |
土方雄重 | 二万石 |
土方雄次 | |||
土方雄隆 | 二万石→一万八千石 |
领地
洼田藩的领地如下,由于相给的关系,也有可能同时是皇室领、幕府领、其他藩领、旗本领或寺社领。
令制国 | 郡 | 町村 数目 |
领地 | 改易后归属 |
---|---|---|---|---|
陆奥国 | 菊多郡 | 18村 | 大平村、大津村、小川村、贝泊村、洼田村、黑田村、九面村、酒井村、四泽村、白米村、濑户村、旅人村、中田村、长子村、荷路夫村、沼部村、三泽村、山玉村 | 江户幕府 |
能登国 | 羽咋郡 | 13村 | 安津见村、安部屋村、上棚村、敷波村、敷浪村、白濑村、千路村、二所宫村、原村、福水村、丰后名村、松木村、神子原村 | |
能登郡 | 18村 | 庵村、石崎村、江泊村、大泊村、大野木村、川田村、佐佐波村、濑岚村、外村、祖滨村、田岸村、花园村、深浦村、别所村、谷内村、山崎村、八幡村、横见村 | ||
凤至郡 | 11村 | 井面村、院内村、大野村、梶村、川岛村、河内村、黑川村、黑岛村、七海村、时国村、伏户村 | ||
珠洲郡 | 1村 | 真胁村 |
参考资料
- ^ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 小豆畑裕繁、小野一雄、小野佳秀、佐藤孝德、山名隆弘. 大平村・大高村・大津村・小川村・貝泊村・窪田陣屋跡・窪田村・黒田村・九面村・酒井村・四沢村・白米村・瀬戸村・旅人村・中田村・長子村・荷路夫村・沼部村・三沢村・山玉村. 庄司吉之助、小林清治、誉田宏 (编). 福島県の地名. 日本历史地名大系 7 JapanKnowledge. 平凡社. 1993-06-15. ISBN 4-582-49007-7 (日语).
- ^ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 木村础、藤野保、村上直 (编). 藩史大事典 北海道・東北編 1 POD版. 雄山阁. 2002-04-15. ISBN 4-639-10033-7 (日语).
- 神崎彰利. 平藩. : 202.
- 小野佳秀. 窪田藩. : 233–234.
- ^ 3.0 3.1 3.2 丸井佳寿子. 菊多藩. 坂本太郎、关晃、臼井胜美、大石慎三郎、加藤友康、菊地勇次郎、笹山晴生、濑野精一郎、高村直助、土田直镇、鸟海靖、早川庄八、尾藤正英、福田丰彦、丸山雍成、皆川完一、安田元久、由井正臣 (编). 国史大辞典. 国史大辞典 4 JapanKnowledge (吉川弘文馆). 1984-02-01. ISBN 978-4-642-00504-3 (日语).
- ^ 柏木一朗、涩谷叶子、高木知己、藤实久美子、松尾美惠子. 西日比谷町. 儿玉幸多、石冢裕道、小川信、北原进、坂诰秀一、段木一行、森田悌、吉原健一郎 (编). 東京都の地名. 日本历史地名大系 13 JapanKnowledge. 平凡社. 2002-07-01. ISBN 4-582-49013-1 (日语).
- ^ 5.0 5.1 5.2 5.3 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、小林清治、丸井佳寿子、誉田宏、竹川重男、吉村仁作 (编). 窪田村・窪田藩. 角川日本地名大辞典 福島県. 角川日本地名大辞典 7. 角川书店. 1981-03-08: 330. ISBN 4-040-01070-1 (日语).
- ^ 小野佳秀. 窪田(菊多)藩. 福岛民报社、福岛大百科事典发行本部 (编). 福島大百科事典. 福岛民报社. 1980-11-22: 276. NCID BN01657083 (日语).
- ^ 7.0 7.1 7.2 若林喜三郎、高泽裕一、中野节子、桥本澄夫、东四柳史明、堀田成雄、牧野隆信、松浦五郎、和嶋俊二 (编). 石川県の地名. 日本历史地名大系 17 JapanKnowledge. 平凡社. 1991-09-27. ISBN 4-582-49017-4 (日语).
- 中条茂雄、堀田成雄. 安津見村・安部屋村・上棚村・敷波村・敷浪村・二所宮村・原村・豊後名村・町村・松木村. 羽咋郡.
- 堀田成雄. 太田村・四町村・白瀬村・福水村・神子原村. 羽咋市.
- 关冢八郎、宫原四良、上岛进、高木清、坚田悌二、樱井宪弘、中桥达夫、清水宣英. 川田村・瀬嵐村・外村・田岸村・深浦村・別所村・谷内村・横見村. 鹿島郡.
- 松浦五郎、冢林康治、南龙保、中川宽、桥本忠刚、小竹尚武. 庵村・石崎村・江泊村・大泊村・大野木村・小栗村・柑子山村・佐々波村・清水平村・祖浜村・花園村・槙山村・山崎村・八幡村. 七尾市.
- 佃和雄、原田正彰、长谷进. 院内村・梶村・川島村・河内村・黒川村・黒島村・七海村・真脇村. 鳳至郡.
- 左古隆、原田正彰. 井面村・大野村・伏戸村. 輪島市.
外部链接
- 菊多藩. kotobank (日语).