北白川宮智成親王
此條目没有列出任何参考或来源。 (2020年11月3日) |
北白川宮智成親王 | |||||||||||
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皇族 | |||||||||||
國家 | 大日本帝國 | ||||||||||
時代 | 江戶、明治 | ||||||||||
名 | 智成 | ||||||||||
位階 | 三品 | ||||||||||
封爵 | 親王 | ||||||||||
御稱號 | 泰宮 | ||||||||||
宮號 | 聖護院宮、北白川宮 | ||||||||||
出生 | 京都 | 1856年7月22日||||||||||
逝世 | 1872年2月10日 | (15歲)||||||||||
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北白川宮智成親王(きたしらかわのみや さとなりしんのう)、安政3年6月21日(1856年7月22日) - 明治5年1月2日(1872年2月10日))、江戶時代末期、明治時代初期日本皇族。北白川宮初代。伏見宮邦家親王第13王子。幼稱泰宮(やすのみや)。
經歷
萬延元年(1860年)成為孝明天皇猶子、聖護院門跡雄仁法親王(後聖護院宮嘉言親王)附弟。慶應2年(1866年)2月受親王宣下、命名為智成(さとなり)。同月於聖護院出家稱信仁入道親王。
慶應4年(1868年)明治維新諸法度變革,因而還俗稱照高院宮(しょうこういんのみや)名字恢復為智成。後繼承二兄嘉言親王的聖護院宮。明治2年(1869年)敘三品。明治3年(1870年)以宮號與舊門跡重疊為由改稱北白川宮。明治5年(1872年)正月薨逝年17歳。遺言九兄能久親王繼承北白川宮。
血緣
- 兄弟(女子省略):晃親王 - 嘉言親王 - 讓仁親王 -朝彥親王 - 微妙院 - 貞教親王 - 喜久宮 - 彰仁親王 - 能久親王 - 誠宮 - 愛宮 - 博經親王 - 智成親王 - 貞愛親王 - 清棲家教 - 載仁親王 - 依仁親王
參見
北白川宮智成親王
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前任: 二兄嘉言親王 |
聖護院宮當主(二代) | 繼任: 改立北白川宮 |
前任: 宮家創設 |
北白川宮當主(初代) | 繼任: 九兄能久親王 |