東龍太郎
東龍太郎 | |
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第4-5任民選東京都知事 | |
任期 1959年4月27日—1967年4月22日 | |
前任 | 安井誠一郎 |
继任 | 美濃部亮吉 |
日本第10任日本紅十字會會長 | |
任期 1968年3月15日—1978年3月31日 | |
前任 | 川西實三 |
继任 | 林敬三 |
个人资料 | |
出生 | 大日本帝国大阪府大阪市 | 1893年1月16日
逝世 | 1983年5月26日 日本 | (90歲)
政党 | 無黨籍 |
配偶 | 東照子 |
儿女 | 東克彦(長子) 東健彦(次子) 東博彦(三子) |
父母 | 東藤九郎(父) |
亲属 | 東藤三郎(叔父) 山川健次郎(岳父) 東陽一(弟) 東俊郎(弟) 東武雄(弟) |
母校 | 東京帝國大學医学部 |
東龍太郎(1893年1月16日—1983年5月26日),日本醫學家、政治人物。
生平
曾擔任東京都知事(第4・5代)、日本赤十字社社長(第10代)等職務。東京都知事任內申辦奧運。
位階勲等為正三位勲一等旭日桐花大綬章。學位是醫學博士(東京帝國大學)。東京都名譽都民、日本赤十字社名譽社長等。
父親藤九郎是醫師[1]。弟東武雄為、東京大學大棒球社投手。妻為擔任東京帝國大學總長的山川健次郎(樞密顧問官、男爵)三女・照子[1]。
著書
- 『スポーツと共に』旺文社 1953
- 『現代生理学 第4巻 運動の生理学』名取礼二共編 河出書房 1955
- 『スポーツ小六法 昭和34年度版』共編 学陽書房 1958
- 『オリンピック』わせだ書房 1962
- 『独善独語』金剛出版 1978
注釋
關聯項目
學術機關職務 | ||
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前任: 鈴木亰平 |
茨城大学学長 第2代:1953年 - 1958年 |
繼任: 二方義 |
前任: 高木逸雄 |
東邦大学学長 第4代:1967年 - 1969年 |
繼任: 朝比奈一男 |
其他職務 | ||
前任: 川西實三 |
日本赤十字社社長 第10代:1968年 - 1978年 |
繼任: 林敬三 |
前任: 平沼亮三 |
日本體育協會會長 第6代:1947年 - 1958年 |
繼任: 津島壽一 |
前任: 安井誠一郎 足立正 |
日本善行會會長 第3代:1961年 - 1965年 第5代:1972年 - 1983年 |
繼任: 足立正 林敬三 |
前任: 木原均 |
全日本滑雪聯盟会長 第5代:1968年 - 1975年 |
繼任: 伴素彦 |