高槻藩
高槻藩 | |
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谱代 城持 | |
别称 | 长滨藩 |
日语汉字 | 高槻藩 |
平假名 | たかつきはん |
罗马拼音 | Takatsuki-han |
创藩日期 | 庆长11年(1606年)4月 |
创藩理由 | 转封 |
伺候席 | 雁间,明和至天保年间(1764年至1844年) |
人口 | 21,558人 |
废藩日期 | 明治4年7月14日(1871年8月29日) |
废藩理由 | 废藩置县 |
长滨藩(日语:長浜藩/ながはまはん Nagahama-han */?)是日本近江国坂田郡长滨的藩[注 1],庆长11年(1606年)4月创藩,元和元年闰6月18日(1615年9月5日)转封至摄津国岛上郡高槻而创立高槻藩(日语:高槻藩/たかつきはん Takatsuki-han */?)[注 2],明治4年7月14日(1871年8月29日)废藩。石高在高峰期达50,000石,藩厅在长滨藩时期是长滨城,高槻藩时期是高槻城,藩校是创建自宽政年间(1789年至1801年)的菁莪堂,明治元年(1868年)改称为文武馆,人口是4,629户21,558人[3][4]。
武家屋敷方面,永井家时期江户藩邸上屋敷先后设于樱田门外、麹町八丁目、外樱田和数寄屋桥内,中屋敷先后设于角筈村、永田町、霞关、铁炮洲筑地、新大桥向角和木挽町筑地,下屋敷先后设于权田原和代代木,藏屋敷位于天满臼屋町[5][3],京屋敷则位于因幡町南部至壬生坊城的蛸药师通[6][2][注 3]。
历史
庆长11年(1606年)4月,内藤信成从骏河骏府藩以40,000石入主长滨,领地是近江国坂田郡内约20,264石、浅井郡内约13,976石伊香郡内约3,391石,信成入主长滨的理由是为了提防北陆大名与丰臣氏联手。庆长17年7月24日(1612年8月20日),信成死去,由其子内藤信正继位。元和元年(1615年),丰臣氏在大坂之阵后灭亡,长滨藩也失去本来的用途,因此在同年闰6月18日(9月5日)转封至摄津国岛上郡高槻而创立高槻藩,领地是摄津国岛上郡和岛下郡,石高是40,000石,长滨藩的领地则划为近江彦根藩的领地[3][4]。
元和3年(1617年),信正就任为伏见城代,高槻改由土岐定义从下总守谷藩以20,000石入主。元和5年正月8日(1619年2月22日),定义死去,由其长子土岐赖行继位,同年由于年幼而被减封10,000石至下总相马郡内。同年9月,松平家信从三河形原藩以20,000石入主高槻,同年他分知5,000石予其子松平康信。宽永12年2月29日(1635年4月16日),家信获加增至下总佐仓藩40,000石,高槻城改由播磨龙野藩藩主冈部宣胜驻守。宽永13年6月23日(1636年7月25日),宣胜以50,000石入主高槻。宽永17年9月28日(1640年11月11日),康信从下总佐仓藩以36,000石入主高槻[3][4]。
庆安2年7月4日(1649年8月11日),康信加增至丹波篠山藩50,000石,同日永井直清获加增16,000石从山城长冈藩以36,000石入主高槻,领地是摄津国岛上郡、岛下郡、川边郡、能势郡和住吉郡。宽文2年2月15日(1662年4月3日),川边郡和能势郡的领地替地至丹波国桑田郡。宽文11年3月10日(1671年4月19日),直清嫡孙永井直时继位。延宝5年(1677年),他奉命在摄津国的部分幕府领实施检地。延宝8年闰8月19日(1680年10月11日),山城淀藩藩主永井尚征四子永井直种作为直时的养子而继位[3][4]。
元禄8年6月19日(1695年7月29日),大和新庄藩藩主永井直圆长子永井直达作为直种养子而继位。宝永2年(1705年),七道村的河床由于大和川改道工程而变成荒地,因此获替地为岛上郡富田村[注 4]。宝永3年9月25日(1706年10月31日),直种次子永井直英作为直达养子而继位。正德5年3月18日(1715年4月21日),直圆五子永井直期作为直英养子而继位。享保元年11月(1716年12月或1717年1月),直期负责在近江国滋贺郡实施检地[3][4]。
万延元年3月3日(1860年3月24日),高槻藩在樱田门外之变爆发后奉命与篠山藩、淀藩和近江膳所藩一同在京都四口戒备。文久元年(1861年),高槻藩奉命在设于善福寺的美国驻日本大使馆戒备。同年9月25日(10月28日),丰后杵筑藩藩主松平亲良次子作为藩主永井直辉的养子而继位,即永井直矢。庆应3年2月16日(1867年3月21日),高槻藩奉江户幕府之命把守洞峠,在鸟羽伏见之战爆发时虽然仍有驻守,不过最终没有与新政府军交战,并且撤退至高槻城。明治4年7月14日(1871年8月29日),废藩置县[3][4][11]。
历任藩主
家名 | 家格 | 名称 | 石高 | 领地 |
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内藤家 | 谱代 城持 |
内藤信成 | 40,000石 | 近江国坂田郡、浅井郡和伊香郡 |
内藤信正 | 近江国坂田郡、浅井郡和伊香郡 ↓ 摄津国岛上郡和岛下郡
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土岐家 | 土岐定义 | 20,000石 | 摄津国 | |
土岐赖行 | ||||
形原松平家 | 松平家信 | |||
冈部家 | 冈部宣胜 | 50,000石 | ||
形原松平家 | 松平康信 | 36,000石 | ||
永井家 | 永井直清 | 摄津国岛上郡、岛下郡、川边郡、能势郡和住吉郡 ↓ 摄津国岛上郡、岛下郡和住吉郡丹波国桑田郡 | ||
永井直时 | 摄津国岛上郡、岛下郡和住吉郡 丹波国桑田郡 | |||
永井直种 | ||||
永井直达 | ||||
永井直英 | ||||
永井直期 | ||||
永井直行 | ||||
永井直珍 | ||||
永井直进 | ||||
永井直与 | ||||
永井直辉 | ||||
永井直矢 | ||||
永井直谅 |
领地
令制国 | 郡 | 领地 |
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摄津国 | 嶋上郡(36村) | 高槻村、上田边村、芥川村、庄所村、津江村、下田边村、真上村、芝生村、东五百住村、古曾部村、安满村、下村、西天川村、冠村、前嶋村、唐崎村、西面村、三嶋江村、柱本村、成合村、大冢村、樱井村、鹈殿村、野田村、东天川村、别所村、𥐟嶋村、川洼村、大泽村、梶原村、神内村、尺代村、冰室村、土室村、西五百住村、冢原村 |
嶋下郡(22村) | 鲇川村、鸟养中村、 | |
七道村、刈田村 | ||
丹波国 | 桑田郡(15村) | 寺村、中村、法贵村、犬甘野村、笑路村、柚原村、神地村、寺田村、汤屋村、仓谷村、万愿寺村、大槻并村、大野村、南挂村、东挂村 |
令制国 | 郡 | 领地和预地 |
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摄津国 | 住吉郡 | 刈田村、七道领 |
岛下郡 | 领地:福井村、鸟饲野野村、鸟饲上之村、鸟饲中之村、鸟饲八町村、鸟饲下之村、鸟饲西之村、鸟饲八坊村、吉志部村、大门寺村、生保村、车作村、安元村、大岩村、粟生村、千提寺村、清坂村、下音羽村、长谷村、钱原村、高山村、泉原村、佐保村、鲇川村、马场村、二阶堂村、野野宫村、内濑村、丑寅村 预地:穗积出作、别府村、味舌村、新在家村、一津屋村、鹤野新田、乙辻村、小坪井村、太中村、泽良宜滨村、味舌下村、吹田村、岛村、上音羽村 | |
岛上郡 | 领地:大泽村、广濑村、川久保村、尺代村、庄所村、津之江村、三岛江村、柱本村、西面村、真上村、古曾部村、安满村、下村、神内村、土室村、冢原村、西天川村、东天川村、野田村、芥川村、中小路村、辻子村、土桥村、西冠村、番田村、下田边村、永室村、唐崎村、前岛村、前岛村、鹈殿村、大冢村、高槻村、大冢町、野中村、别所村、芝生村、梶原村、成合村、富田村、樱井村、矶岛村 预地:东大寺村、三岛江唐崎新田、大冢村、大冢町、高滨村、梶原村、宿名村、宫田村、奈佐原村、鹈殿岛流作新田、富田村、冠天川新田、冠村、上田边村、西五百住村、东五百住村 | |
能势郡 | 领地:片山村[注 5] 预地:平野村、稻地村、上杉村、垂水村、天王村、山田村、吉野村、山内村、川尻村、余野村、野间口村、仓垣村、木代村、吉川村、下田村、柏原村、平通村、宿野村 | |
丹波国 | 桑田郡 | 东挂村、仓谷村、汤谷村、南挂村、犬甘野村、笑路村、万愿寺村、神地村、柚原村、寺田村、中村、寺村、法贵村 |
河内国 | 茨田郡 | 领地:伊加贺村、枚方村、泥町村 预地:出口村、中振村、走谷村、冈新町村、冈村、三矢村 |
注解
参考资料
- ^ 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、石川正知、小林博、高桥昌明、畑中诚治、平田守卫 (编). 長浜. 角川日本地名大辞典 滋賀県. 角川日本地名大辞典 25 日本文学Web図書館. 角川书店. 1979-04-08. ISBN 4-040-01250-X (日语).
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- ^ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 木村础、藤野保、村上直 (编). 藩史大事典 近畿編 5 POD版. 雄山阁. 2002-04-15: 188–198. ISBN 4-639-10039-6 (日语).
- 江龙喜之. 長浜藩. : 14–15.
- 福山昭. 高槻藩. : 205–216.
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- ^ 东京都 (编). 二 帝都(一). 東京市史稿 市街編. 东京市史稿 49 (东京都). 1960-03-25: 596–599. 国立国会图书馆书志ID:000001226894 (日语).
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- ^ 松平親良. kotobank (日语).
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